このプロジェクトは【4月1日】を【ジャパニーズウイスキーの日】として制定、記念日登録をし、ジャパニーズウイスキーの情報発信、応援をするために立ち上げました。
1929年4月1日に日本初の本格国産ウイスキー「サントリーウヰスキー(通称“白札”)」が発売されてから、僅か100年超で全世界から高い評価を受けているジャパニーズウイスキー。このプロジェクトはジャパニーズウイスキー誕生の歴史や、先人たちの努力や思い、世界を席巻しているブームの現状を、多くの人々に知っていただくことを目的としています。ホームページやSNSなどでの情報発信と、毎年4月1日のイベントを通じて、皆様とジャパニーズウイスキーを繋げられるよう活動いたします。
※ジャパニーズウイスキーとは、日本国内で生産されているウイスキーのことです。
日本洋酒酒造組合より2021年2月16日に発表された
「ウイスキーにおけるジャパニーズウイスキーの表示に関する基準」
に準じます。
2025年4月1日(火)、5回目の「ジャパニーズウイスキーの日乾杯イベント」が開催されます。今年はウイスキー文化研究所セミナールームを利用し、基調講演、フリーテイスティングとパネルディスカッションを行います。ジャパニーズウイスキーの現状についてや、法制化、今後の活動についての話を交えながら、ご自由にテイスティングをお楽しみいただくイベントです。
主催/運営 | ジャパニーズウイスキーの日実行委員会/ウイスキー文化研究所 | ||||||
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会場 |
ウイスキー文化研究所セミナールーム 〒150-0012 東京都渋谷区広尾1-10-5 テック広尾ビル 2F MAP |
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日時 |
2025年4月1日(火)18:30~20:30(2部構成)
<タイムスケジュール>
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定員 | 40名 | ||||||
参加費 |
5,500円(税込)
※オリジナルボトル20種(すべてジャパニーズ)フリーテイスティング付 |
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チケット販売 | お申込みはこちら |
<テイスティングアイテム>
日付 | 4月1日 |
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由来 | 1929年4月1日に日本初の本格「サントリーウヰスキー(通称“白札”)」が発売されたことによるもの |
目的 |
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主催 | ジャパニーズウイスキーの日実行委員会 |
企画 | 東京ウイスキー&スピリッツコンペティション(TWSC)実行委員会、ウイスキー文化研究所 |
運営 | ウイスキー文化研究所 |
■実行委員長
■実行委員
ジャパニーズウイスキーは今、世界でもっとも注目される酒のひとつとなっています。海外の酒類コンペでは高い評価を受け、オークションでは毎回その記録を塗り替え続けています。先ごろ発表された国税庁の輸出統計(2020年)では、ついに清酒を抜いてウイスキーが第1位に躍りでました。その金額は約271億円。これは同じ蒸留酒である焼酎の、実に25倍の数字です。
さらに世界的なウイスキーブーム、クラフトウイスキー人気もあって、ここ4~5年、日本全国に新しいクラフト蒸留所が相ついで誕生しています。その後は計画段階のものも含めると、35近くにものぼります。大手3~4社の寡占状態が長く続いた日本のウイスキー業界に、今新しい時代が到来しています。
そうしたジャパニーズウイスキーの新時代を確実のものとし、ジャパニーズウイスキーの認知をさらに広めるためにも、私たちはこの度、「ジャパニーズウイスキーの日」を制定し、その発展を後押ししたいと考えました。その日にイベントを開き、ジャパニーズウイスキーを応援する人たちと、乾杯をしたいと考えています。
では、ジャパニーズウイスキーの日と呼ぶにふさわしい日はいつなのでしょうか。そもそも、日本の本格ウイスキー造りはいつから始まったのでしょうか。
日本にウイスキーが伝わったのは、1853年にペリーが浦賀にやってきた時だといわれています。いわゆる“黒船来航”で、この時、交渉にあたった幕府の与力や通訳に、ペリーの船上で、ウイスキーが振舞われたのが最初といわれます。その後、明治維新以降は外国産の安い醸造アルコールに色や香味を加えた、いわゆるイミテーションウイスキーの時代が長く続きました。
日本で本格ウイスキーを造ろうと考えたのは寿屋(現サントリー)の鳥井信治郎です。スコットランドでウイスキー造りを学んだ竹鶴政孝を初代工場長に迎え、1923年、山崎蒸留所を創業します。これが日本初の本格ウイスキー蒸留所で、その山崎の原酒を使った国産本格ウイスキーの第1号が、「サントリーウイスキー」、通称「白札」でした。その白札が発売されたのが、1929年4月1日のことです。
ジャパニーズウイスキーの日の候補としては、いくつかの選択肢がありました。ペリーが浦賀にやってきた1853年の7月6日、本格蒸留所第1号の山崎蒸留所の創業年、さらには、その山崎の初蒸留の日…。しかし、寿屋の白札の発売日以上にふさわしい日はないと判断し、この日を「ジャパニーズウイスキーの日」とすることに決めました。
今年はコロナ禍で、大きなイベントを開くことはできませんが、オンラインで全国のジャパニーズファンとつなぎ、1929年にあやかって、4月1日の19時29分に乾杯したいと思っています。そのための費用(詳細は下記)を捻出するために、クラウドファンディングを開始したいと考えています。
もちろん、このイベントは1回で終わるものではなく、これから毎年行われます。2023年には、いよいよ「ジャパニーズウイスキー生誕100年」を迎えます。その生誕祭も当実行委員会で行いたい、そのプラットフォームづくりも、この会が担っていければと考えています。
ぜひ、この会の主旨に賛同いただき、参加していただければと願っています。
ジャパニーズウイスキーの日実行委員会
代表 土屋守
日本でウイスキーが飲まれ始めたのは1853年、ペリー来航時と言われております。
開国後は、スコットランド、アイルランドなどからウイスキーの輸入も始まり、それを追うようにして、国内ではイミテーションウイスキーの生産が始まります。これは、酒精アルコールに着色、味付けを行ったもので、おおよそウイスキーと呼べる代物ではありませんでした。その製造者の中から、寿屋、摂津酒造といった国産の本格ウイスキーの製造を目指す人々があらわれます。
中心人物は寿屋(現サントリー)の鳥井信治郎氏と、摂津酒造の竹鶴政孝氏であり、その物語は2014年9月に放送が始まったNHK連続テレビ小説「マッサン」でも語られております。摂津酒造がスコットランドに派遣したのが竹鶴氏であり、帰国後浪人となった氏を、技術責任者、初代工場長として迎え入れたのが寿屋です。
その後1923年に寿屋は山崎蒸溜所を設立し、1929年には初の本格国産ウイスキー「サントリーウヰスキー(通称“白札”)」を発売するに至ります。
この発売日が4月1日で、この日が記念日として最もふさわしいと考えます。
後に竹鶴氏は独立して、大日本果汁株式会社(現ニッカウヰスキー)を設立し、北海道の余市で蒸溜所の操業を開始します。なお竹鶴氏がスコットランドで作成した実習報告書、いわゆる“竹鶴ノート”は摂津酒造の上司である岩井喜一郎氏の手に渡ります。岩井氏は本坊酒造の顧問として、石和蒸留所の設立に携わりました。
1980年代には国内に地ウイスキーブームが起こり、自社での蒸留を行う事業者も多くありましたが、1989年の酒税法改正を契機にこのブームは終焉を迎えます。
2010年代中頃からはクラフトウイスキー蒸留所の設立が相次ぎ、現在では30を超える蒸留所が国内で稼働しています。特に、ベンチャーウイスキー秩父蒸留所の活躍は、広く一般の方々にも知られていることと存じます。
現在、世界中で高い評価を受けているジャパニーズウイスキーの礎を築いた先人の偉業をたたえ、また、現在の生産者を応援することを目的とし、ジャパニーズウイスキーの日を記念日として制定いたします。
ジャパニーズウイスキーの日実行委員会 事務局