more
HOME
JW物語
お問い合わせ
■HOME
JW物語
歴史
竹鶴政孝が書いた幻のボーネス日記
歴史
2021-09-14
文/土屋 守
竹鶴政孝が書いた幻のボーネス日記
竹鶴政孝の「竹鶴ノート」については、広く世に知られているが、「ボーネス日記」については、ほとんどのウイスキーファンも、その存在を知らないのではないだろうか。竹鶴がキャンベルタウンのヘーゼルバーン蒸留所で実習したのは1920年2月から4月までの3ヵ月間だが、それ以前にロングモーンとボーネスで実習を受けたことは、竹鶴ノートの中に、「エルギンとボーネスについては、すでに本社に報告済み」と出ていることから、竹鶴が何らかの形で報告書を作成し、それを摂津酒造の上司である岩井喜一郎宛てに送っていたことは想像できる。現に「エルギン日記」の存在は確かめられているし、私もその現物を余市蒸溜所で目にしている。しかし「ボーネス日記」の存在は知られていなかったし、誰も見たことがなかったはずだ。
これがボーネス日記の下書き…
NHKの朝の連続テレビ小説『マッサン』の放送が始まって1ヵ月後くらいの2014年10月に取材で余市に行く機会があった。その時に博物館に展示されていた「竹鶴ノート」と「エルギン日記」を、直接見せてもらった。もちろん、どちらも竹鶴の下書き用ノートで、摂津酒造に提出されたものではない。エルギンで書かれたノートを手にした時に、その下にもう1冊の古びたノートがあることに気がついた。…エルギンのノートは2冊あるのか。そう思って手にしたノートを見ると、最初のページに「連続式蒸留機によるウイスキー製造 ボネーズ工場に於ける実習報告1919」と書かれているではないか。ボネーズはもちろんボーネスのことである。
竹鶴ノートで知っている、あの達筆の文字ではなく、書きなぐったような乱暴な文字。本文も漢字、仮名まじりではなく、漢字とカタカナまじりの読みにくいスタイルだ。しかも下書きなので、何度も線を引いて訂正やら書き足しをしている。その場では判読できないので、無理を言って、後日コピーを取って送ってもらった。それを判読し、現代文・現代表記に改め、『Whisky World』の誌面で紹介したのが2015年5月のことである。
ついに幻と思われていた「ボーネス日記」を発見した。その時は興奮したがヘーゼルバーンのことについて書いた「竹鶴ノート」に比べると、やはり実習期間が3週間と短かったせいなのだろう、そのノートには、これはという話は出てこない。ただボーネス蒸留所ではトウモロコシと裸麦、大麦麦芽のレシピのほかに、裸麦と大麦麦芽のみのレシピがあり、それでグレーンウイスキーを造っていると書かれている。その比率は前者はトウモロコシ41%、裸麦30%、麦芽29%となっているのだが、そもそも、この裸麦がどの麦のことなのかは述べられていない。トウモロコシはアメリカ産と書いているが、この裸麦とは何だろう。麦焼酎で使う六条大麦の丸麦のことだろうか。今でも疑問として残っている。
竹鶴が毎日通ったボーネス駅。
ボーネス駅から望むボーネスの街並み
【初出: ウイスキーコニサー資格認定試験教本2021下巻 】
一覧へ戻る
Next
カテゴリー
Categoly
トレンド
2
歴史
3
定義
2